15. 精神医学の過去・現在・未来
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1. 精神疾患と歴史状況
脳の機能変調や器質性疾患による精神症状であり、人類という種に共通の生物学的背景に由来するもの
躁やうつといった気分の変調は、おそらく人類史とともに古い てんかんの歴史もまた古く、やはり後述のヒポクラテスの逸話で知られる他、新約聖書のなかにもてんかん発作と思われる事例の詳しい記載がある ヨーロッパばかりでなく古代中国においても精神の変調が記載され、癲・躁・狂といった言葉が平安時代のわが国にも紹介されて用いられた 癲はてんかん、躁は躁状態、狂は厳格妄想状態に相当するものと考えられる 一方、精神疾患のなかには時代や地域の影響を強く受けるものもある
たとえばアルコール依存症の場合、病気自体は古くから見られたであろうが、酒が高価なもので消費量や消費者が限られていた間は大きな社会問題にならなかった ところが1600年代にオランダで安価なジンの製法が開発され、その後ヨーロッパ全体に急速にアルコール依存症が広がったといわれる
一方、飲酒習慣のないイスラム社会には、当然ながらアルコール問題は存在しない
しかし、ナイロビ在住の日本人や欧米人の家庭ではしばしばANのケースが発生し、それぞれ母国へ戻って治療を受けている現状がある
現実に飢えの危険にさらされている地域ではANは発症しない
飽食が当たり前になった社会状況がANを生むというのが、この医師の見解
PTSDという診断概念が確立したのは20世紀後半であるが、PTSDに相当するケースは古来どこでも存在したはず
しかしこの人々は病気と認められなかったか、認められたとしても別の診断がつけられたであろう
近い過去について見ても、1945年前後の日本や他の国々には数え切れないほどのPTSDの患者がいたに違いない
実際に変調をきたした人々は国土が戦場となったベトナムのほうが、はるかに多かったはず
精神疾患は、ヒトの生物学的特性と直結した変わらぬ基盤をもつ一方で、時代の状況を鋭敏に映し出す鏡でもある
適応障害をはじめとするストレス関連疾患は、21世紀初頭のわが国の姿を映し出す鏡像 2. 精神医学の歴史
2-1. ヒポクラテス(紀元前460~紀元前370年頃)
医療者の倫理原則
精神医学にも重要な貢献を遣した
てんかんは第9章で学んだように、大脳の電気活動の異常によって起きる発作性疾患であるが、けいれんなどの激しい症状を突発的に示したかと思うと、また何事もなかったように正常に戻る経過がいかにも不可思議に見える このため、てんかんは洋の東西を問わず「憑きもの」と解釈されることが多かった
古代ギリシアでは、患者が発作中に発する言葉や叫びに神秘的な意味を読み込み、「神聖病」と呼んで特別扱いすることが行われていたという その結果、患者は保護・尊重されるよりも、かえって不当に利用されることになった
ヒポクラテスはこうした見方を明確に否定し、てんかんもまた他の疾患と変わらぬ1つの病気であり、患者は治療を求める1人の病人にほかならないことを主張したとされる
てんかんに限らず、精神疾患はヒトの行動に顕著な変化が現れるのに病変を目で見ることができず、不可解な印象を与えることが多い
近代科学を知らない人々がこうした現象の背後に霊的な存在を想定したのも無理のないこと
現代人の心の深層にも根強く存在しており、私達の判断や思考に思いがけない影響を及ぼすことがある
精神医学の歴史は、アニミズム的な疾病観をより科学的・実証的な考え方で置き換えていく長いプロセスとも見ることができる
ヒポクラテスはその第一歩を記した人物として記憶されている
2-2. 近代精神医学の誕生と隆盛
ヒポクラテスの提唱した科学的な医学観がヨーロッパ世界で優勢となるまでには、長い中世からルネッサンスを経て近代に至るまで、2千年以上の歳月がかかった
とりわけ精神現象は宗教のテーマである霊魂の問題と関わりが深いと考えられたため、精神医学はとりわけ困難な事情を抱える事が多かった
やがて近代医学の勃興とともに、次第に科学的な精神医学が台頭するようになる
学問としての精神医学は、ヨーロッパではまず精神病院の周辺で始まったとされる
19世紀に入ると、ヨーロッパ各地の精神病院で精神医学に関する講義や教育が行われるようになった
大学医学部における精神医学教育はこれより遅れ、19世紀中頃からドイツでも発達した
わが国は明治維新以後、ドイツに倣って医学制度や医学教育の整備を行ったので、ドイツ流の大学精神医学がわが国でも主流となった
19世紀のヨーロッパ精神医学において活躍し、その後に強い影響を及ぼした二人の先駆者
ドイツ各地の大学で精神科の教授を歴任し、「大学精神医学の祖」ともいわれる
彼は脳の働きと精神疾患の関係を重視する立場をとり「精神疾患は脳病である」という有名な言葉を残している
各種の神経疾患について多くの発見をなすとともに、長年にわたってヒステリーを中心とする神経症の研究に取り組み、特に当時民間に流行していた催眠術をヒステリーの研究や治療に導入したことで、大きな反響を巻き起こした 20世紀に入ると精神疾患の体系的分類が行われるようになった
こうした流れを受け、その後のドイツでは精神現象を観察してありのまま記載することを目指す記述精神医学が発達した 2-3. 精神医学の20世紀
今日では、生物学的精神医学の重要性がこれまでになく増しているものと見られる
統合失調症やうつ病などの本格的な精神疾患が薬で治療できるようになったことは、これらの病気の予後を改善するとともに精神医学のあり方そのものを大きく変えることになった
医学思想についてみれば、脳の異常という方向から精神疾患にアプローチする生物学的精神医学の立場をきわめて強いものにしたといえよう
そうした事実を手がかりにして、精神疾患の生物学的なメカニズムを解明しようとする研究が成果を挙げつつある
さらに、20世紀後半の医学界を席巻した分子生物学的な手法は精神医学にも強いインパクトを与え、各種の精神疾患に関連する遺伝子の検索が進められている
近年のもう1つの大きな話題は、DSMやICDなどの操作的な診断基準が考案され急速に普及したこと
グローバリゼーションの時代を迎えて国や地域を越えて通用する診断基準が必要となったことや、個々の医師の経験や直感によらない客観的な診断手続きへの要請などが背景
薬物療法が進歩するにつれ、薬効を正確に判定できるような定量的・客観的な症状評価の必要性が高まったことも影響しているだろう
検証可能な客観的根拠に基づく治療を目指す
医学界全般に普及し、精神科医療においても薬物療法はもとより精神療法までもが根拠(evidence)を問われるようになっている 生物学的精神医学が隆盛をきわめ、判断基準の標準化・客観化が進む一方で、複雑な社会状況のなかでヒトの抱える心理臨床的なニーズは多様化し、より細やかで個別的な対応が求められるようになっている
しかし脳科学・生命科学の進歩の方向はこうした現実の要請に応えるものとなってはおらず、その狭間にあって現代の精神医学は方向性を求めて苦慮しているように思われる
2-4. 身体主義と心理主義
以上に述べた流れは、精神医学における二大潮流のせめぎあいという視点からも見ることもできる
身体に還元されない心の問題と考える方向性
心理主義のなかには時として非科学的な思い込みやドグマ(教義)が入り込み、患者の適切な扱いを妨げることがあった 誤った心理主義に対する身体主義の側からの反論
中世ヨーロッパにおける道徳療法→グリージンガーの「精神病は脳病」という言葉で代表される近代的な疾病観によって覆された 一方、心の働きが脳という身体器官によって遂行されるのは事実であるとしても、ものごとの意味を追求し意味をめぐって悩む人間の心はそもそも身体主義だけでは解ききれない問題を抱えている
大雑把に言って、身体疾患に伴う精神症状や内因精神病は身体主義的な見方によく合致するが、人生経験への反応として生じる病的状態(適応障害、PTSDなど)は心理主義的な視点によらなければ理解することおが難しい 治療に関しても同様であり、薬物療法は統合失調症、うつ病、不安障害などの症状をコントロールするうえで大きな力を発揮するものの、心の悩みや葛藤そのものは薬で解消されるものではなく、そうした問題の解決のためには精神療法的なアプローチが必要となる このように身体主義と心理主義とは精神医学を相補的に支える2本の柱であり、どちらが欠けても精神現象を適切に理解することはできない
けれども歴史の現実の中では、その一方に偏って他方を無視したり、両者が対立反目して不毛な争いを産んだりする霊が多く見られてきた
今日においても、医師は身体主義に偏りがちであり、逆に心理臨床家は心理主義的な視点に偏りがちであるといった傾向はありはしないだろうか
3. 精神医療の近現代史
3-1. ピネルとピアーズ
ヒポクラテスがてんかんを「神聖病」というレッテルから解き放ち、アニミズムから科学的精神医学への道を開いた
このことは精神障害者の処遇という視点からも特筆される
精神疾患を身体疾患と同じ「病気」と見るならば、その病気をかかえた「病人」に対して「治療とケア」を提供することが当然の帰結となる
しかし現実には、科学的な精神医学が確立するのに2千年あまりを要したのと同様に、精神障害者が治療やケアを受ける権利をもつことが人々の常識となるまでにも、長い時間が必要であった
一方では、信仰と結びついた治療共同体の営みも存在し、ベルギーのゲールという街で行われてきた取り組みは、その代表例として今日まで続いている 長い中世が終わりをつげルネッサンスや宗教改革を経て近世に入り、17~18世紀にはヨーロッパ各地に大規模な精神病院が設けられ、患者はこうした場所に集められるようになった しかし精神疾患に対する考え方や治療法にはこれといった進歩がなかったから、これらの精神病院が治療よりも収容の場であったことは想像に難くない
当初は伝染病などの患者や軽犯罪者、社会秩序を乱すと見なされた人々等が雑然と収容されていたという その後、次第に精神病院には精神疾患の患者だけが集められるようになっていった
こうして精神病院の環境は一般に劣悪で、鎖その他で患者を拘束することが日常的に行われ、「精神病院見物」が一般市民の娯楽とされることすらあったという
近代の訪れとともに、他の科学分野同様、医学もまた急速に発展を遂げ始める
同時に啓蒙思想に支えられて人権意識が伸張するにつれ、精神病院の環境にも注意が向けられるようになった
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しかし残念ながら、精神疾患に対して有効な治療法のない現実に阻まれ、ピネルの精神はただちに定着するには至らなかった
さらに1世紀以上が経過し、1908年にアメリカのビアーズ(Beers, C)は、精神病院への自らの入院体験を退院後に書物として刊行し、精神医療の実態を世に知らせた この書物は当時としては記録的なベストセラーとなり、これがきっかけとなって精神病院の環境改善などを求める精神衛生運動が起きることになる 精神衛生運動は、アメリカはもとよりヨーロッパ諸国やわが国にも強い影響を及ぼし、第二次世界大戦後の本格的な精神医療改革へとつながった
3-2. 日本の事情
江戸時代までのわが国の精神医療については不明の点が多い
京都の岩倉村には治癒を求めて大雲寺を参詣する精神障害者を茶屋で世話する伝統が古くからあり、しばしばベルギーのゲールと対比されるが、第二次世界大戦の混乱のなかで惜しくも消滅した
こうした例を含め、古い資料を発掘し再構成する作業は今後の課題として残されている
1868年に始まる明治維新以降、急激な近代化を開始
医学の領域では当時最先端とされたドイツの医学が導入されたが、富国強兵を国是とする急激な変化のなかで、心の健康への配慮や精神疾患を持つ人々への福祉は長い間置き去りにされてきた
精神保健福祉立法の推移
主な要点
旧民法下の「家」の責任において精神障害者を監督させるもの
国際的背景: 不平等条約改正に向けて法制度整備が急がれる
主な要点: 公立精神病院の設置を規定したが予算不足などで進まず
国際的背景: 第一次世界大戦(1914~1918)
主な要点
精神病院の設置を都道府県に義務づけた
国際的背景
第二次世界大戦(1939~1945)と日本の敗戦
GHQによる民主化政策
主な要点
保健所の機能強化
精神衛生センター設置
通院医療費公費負担制度新設
主な要点
任意入院、医療保護入院など入院形態と手続きの整備
国際的背景: 宇都宮病院事件(1983)をきっかけに精神障害者への非人道的処遇が国際的非難を浴びる 主な要点: 「自立と社会参加の促進のための援助」がうたわれる
精神障害者の処遇に関する法律として最初のもの
同法の目的は精神障害者に治療を提供することではなく、患者が社会に迷惑をかけないよう監督するところにあった
また、その責任を患者の家族すなわち旧民法下の「家」に負わせ、そのために必要であれば「私宅監置」を認めていた 当時、「第二次条約改正」を果たして半植民地状態を脱することが、わが国の国家的な急務であった
欧米では精神病院の環境改善が課題となり始めた時期であったが、わが国では精神病院や精神病床が絶対的に不足しており、富国強兵の大目標の陰で病院建設に予算が充てられることもなかった
こうした状況の中で、国や社会が果たすべき役割を「家」に肩代わりさせるのが精神病者監護法の狙いだったと考えられる
これに対しては強い批判もあった
東京帝国大学教授の呉秀三は、門下生たちの協力を得て全国の私宅監置の実態を調査し、1918年に書物を刊行して世に訴えた 呉は東京府立巣鴨病院(後の松沢病院)の院長として精神病院改革や患者の人道的処遇の実現に尽力し、法制度の改善を主張して1919年の精神病院法制定に影響を与えるなどした しかし状況はなかなか改まらず、精神病者監護法はちょうど半世紀にわたってわが国の精神医療を支配した
精神衛生法とその改正
1950年に精神病者監護法に代わって制定された
私宅監置は廃止され、精神病院の設置義務が各都道府県に課せられた
このように精神医療に関する行政の責任が明記されたのは大きな進歩
ただし現実には病院設置を民間病院で代行することが認められたため、精神病院の多くが民間であるというわが国の特殊事情には変化がなかった
欧米では公立病院が圧倒的に多い
また、精神衛生法の内容は「措置入院」や「同意入院」など強制入院の手続きに関わる規定がほとんどであり、福祉よりも社会防衛の色彩がなお強かった これがきっかけとなって翌1965年に精神衛生法の大改正が行われ、精神衛生センターの設置や通院医療費公費負担制度の新設など大きな進展が生まれた 同じ頃から政策的な誘導を受けて精神病院の建設ラッシュが起き、精神科病床数は飛躍的に増加したが、建設された病院はただちに満床になることが繰り返され、慢性的なオーバーヘッド状態と劣悪な病院環境が続いた
地域や家庭に置かれていた患者が病院に収容されていく過程と考えられるが、同じ時期に世界では1952年のクロルプロマジン開発を受け、脱施設化と地域精神医療の流れが始まっていた わが国の状況は、世界の趨勢にまったく逆行するものとなった
こうした状況はほぼ30年にわたって続き、病床占有率が90%台に落ち着いて、病院内外の環境が改善に向かうのは、1990年代以降のこと
1983年にいわゆる宇都宮病院事件が起き、翌年にかけてわが国の精神病院における非人道的な患者処遇が国際的に非難を浴びるとともに、精神医療のあり方や社会復帰施策の遅れが批判の対象となった このような圧力のもとに精神衛生法は抜本的に改正され、精神保健法が1987年に公布、1988年から施行された
同法はその目的として「精神障害者の人権擁護」と「精神障害者の社会復帰促進」の2本の柱を明確に謳っており、その意味で画期的なもの
そこでは上記の2本の柱に加え「自立と社会経済活動への参加」が目的として掲げられており、収容中心の病院精神医療から、地域での治療と生活を支える地域精神医療への転換が、法律のうえにも表現されることになった
2005年には障害者自立支援法の成立を受けてさらに変更が加えられ、2013年度の改正では医療保護入院に関する手続きが見直されるなど、精神保健福祉法のより適切なあり方を求めて試行錯誤が継続されている このように明治維新以来のわが国の精神医療制度においては、海外からの政治的な圧力を意識したり、実際に圧力を受けたりすることがきっかけとなって、法制度改革が行われるパターンが繰り返されてきた
そうした経緯の末、人権擁護の手続きや社会復帰援助のシステムが一応の形を整えつつ21世紀に入っている
3-3. スティグマ克服〜未来への課題
烙印を意味するギリシア語に由来する言葉
近年の社会学では、特定の個人や集団に対して付与される悪しきレッテルをスティグマと予備、社会的な偏見や差別の根源にスティグマがあることを論じているという このような視点から歴史を振り返る時、「精神障害」という言葉やイメージが一つのスティグマとして機能してきた
前述のライシャワー大使刺傷事件が発生した1964年3月24日以降の新聞の見出しを検索してみるとよい
当時すべての新聞がこぞって公安の手抜かりを糾弾し、「危険な精神異常者」を取り締まり収容するよう声高に求めていることに驚くだろう
加害者の少年が治療を受ける機会もないままに、精神分裂病の症状にかられて凶行に至ったという、悲劇的な事情に思いを致す記事はほぼ皆無であった クロルプロマジンが発見されてから10年以上経ち、世界の精神医療が方向転換を遂げつつ合った時代のわが国の状況
その後、半世紀以上が経過し、人々の理解が大きく変化したとはいえ、スティグマの克服はなお不十分であり将来の課題として残されている
ライシャワー大使刺傷事件の前年、アメリカのケネディ大統領が議会に送った教書(いわゆるケネディ教書) 精神障害者の権利とこれに関する社会の責務を明確に表したものとしてよく知られている
われわれ国民は、長年にわたって精神障害者と知的障害者を不当に無視してきた。このような態度は、われわれが同情と尊厳の理念を守り、人的能力を最大限に活用することを望むのであれば、すみやかに是正されなければならない。伝統的な無関心と訣別し、国中のあらゆる層、地方、州、個人、すべての行政機関において、遠大な計画を力強く実行に移して行かなければならない。